前の年代:
紀元前2000年〜紀元前1900年

紀元前1900年 〜 紀元前1800年

前1900年頃

アカイア人、ギリシアに侵攻。 最後のシュメール人王朝の没落。
紀元前1900年頃にはセム人系のアムル人が巨大都市バビロンを都として古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を始めた。 イェリコに再び町が建設され、町の領域は初期の壁の外にも拡大し、さらに外側により高い周壁が建設された。

前1897年

ネブカウラー・アメンエムハト2世が、息子センウセルト2世を共同王に任命。

前1896年

イシン第1王朝のウル・ニヌルタ王が死去。
ブル・シンが王を継承する。

前1895年

エジプト第12王朝を統治していたネブカウラー・アメンエムハト2世が死去。
共同王であったカーケペルラー・センウセルト2世が統治。 大規模な干拓工事がファイユーム(Faiyum)で着工された。
ファイユームは当時ナイル川の水が流れ込んで作った湿地帯が広がり、農耕の困難な土地であったが、大規模な堤防を築くことでナイル川からの水の流入を防ぐことが試された。

前1894年

ラルサ王朝のアビ・サレ王が死去したため、スム・エルが王を継承する。
メソポタミア中部の都市バビロンで、アムル人の王スムアブムが独立勢力を築くことに成功する。
この時期のバビロンは地方の一都市に過ぎなかったが、スムアブムとその後継者たちは城壁の建造をはじめ各種の建築事業を通じて、この都市を首都にふさわしく造り変えていった。 彼は城壁の建造を初め連年の神殿や運河などの建築事業を通じてバビロンの拡充を図るとともに、周辺で同じように成立した小規模なアムル系独立国家との戦いに勝利を重ね王朝の基盤を作っていった。

前1891年

イシン第1王朝のブル・シン王が死去。
リピト・エンリルが王を継承する。

前1886年

イシン第1王朝のリピト・エンリル王が死去。
イルラ・イミッティが王を継承する。
彼の時代、長年に渡って敵対を続けていたラルサ王朝との間でニップル市の最終的な帰属を決める戦いがあり、イルラ・イミッティはそれに敗れてニップル市をラルサに占領された。この結果イシン第1王朝はイシン市の近辺に影響力を及ぼすに過ぎない小国となり、以後重要な役割を果たす事は無くなった。 イルラ・イミッティは記録に残る最古の身代わり王の儀式に登場する人物として知られている。
占いによって凶兆が訪れることを知ったイルラ・イミッティは、エンリル・バニと言う男を身代わり王とし、自分は平民の姿をして凶兆を逃れようとした。 しかし、イルラ・イミッティは身代わり王に王位を任せている間に熱いスープにむせて死んでしまった。 その結果、エンリル・バニが正式な王となったという。これは多分に伝説的な話であり、史実であるかどうか定かではない。

前1882年

古バビロニア王国(バビロン第1王朝)がカザル市を破壊。

前1881年

バビロン第1王朝において、スムアブム王が死去。
彼が征服した都市の幾つかが離反。

前1880年

バビロン第1王朝において、スムラエルが王位を継承する。

前1878年

エジプト第12王朝を統治していたカーケペルラー・センウセルト2世が死去。
エジプト第12王朝をカーカウラー・センウセルト3世が統治。
ファイユーム干拓工事が完成し、ファイユームはエジプト有数の穀倉地帯となった。
この時代は、各地の州侯達の力が再び王権を凌駕しかねないほどに強くなっていたが、彼はこれに対抗するために全国土を北、南、最南の三つに分割し、おのおのに高官会議を設置して州侯を統制するという制度を築いて内政の安定を実現した。 彼の治世の間に各地の州侯が建設する墓などは目立って縮小、減少しており、弱体化は明らかである。更に特定の役人に権力が集中するのを防ぐために、一つの事項を決定する際に必ず複数部門が関与する方式を取った。 そして南方のヌビアに対する支配を更に広げるべく数次にわたるヌビア遠征が行われた。 これらの遠征は成功のうちに終わり、センウセルト3世は自らの勝利を碑文で高らかに謳い上げている。
イシン第1王朝のイルラ・イミッティ王が死去。
エンリル・バニが王を継承する。

前1870年頃

ウル第3王朝の弱体化につれて、エシュヌンナやイシン、ラルサといった諸国が次々とウル第3王朝から独立していった。
ウルクは当初イシン第1王朝の支配下にあったが、イシンがラルサとの戦いによって弱体化していく。
シン・カシドもまた、新王朝への独立をはかる。

前1865年

ラルサ王朝のスム・エル王が死去したため、ヌル・アダドが王を継承する。

前1860年頃

イシンがラルサとの戦いによって弱体化する中、イシン王朝より独立し、アムル人によってウルク第6王朝が建国。 しかしウルクは弱小であり、当時重要な国として現れることはない。独立後事実上ラルサの属国として存続した。
シン・カシドが、イシンから完全に独立。ウルク第6王朝を樹立する。
この王朝は当時のメソポタミアの大半の王朝と同じくアムル人によって建設された。 しかしウルクは弱小であり、当時重要な国として現れることはない。
独立後事実上ラルサの属国として存続した。

前1854年

イシン第1王朝のエンリル・バニ王が死去。
ザンビヤが王を継承する。

前1851年

イシン第1王朝のザンビヤ王が死去。
イテル・ピシャが王を継承する。

前1850年頃

ウルク第6王朝においてシン・エリバムが王として即位。
アナトリア、ヒッタイト帝国が起こる。

前1849年

ラルサ王朝のヌル・アダド王が死去したため、シン・イディナムが王を継承する。

前1847年

イシン第1王朝のイテル・ピシャ王が死去。
ウル・ドゥクガが王を継承する。

前1846年頃

テラ70歳の時、息子アブラム(アブラハム)が生まれる。 また、ナホル(II世)、ハランが生まれる。
文明が発祥したメソポタミア地方カルデアのウルにおいて裕福な遊牧民の家に生まれる。
ヘブライ教/旧約聖書においては、これ以降レアまでの時代を族長時代と定義している。

前1845年

バビロン第1王朝において、スムラエル王が死去。

前1844年

バビロン第1王朝において、サビウムが王位を継承する。

前1843年

イシン第1王朝のウル・ドゥクガ王が死去。
シン・マギルが王を継承する。

前1842年

カーカウラー・センウセルト3世が、息子アメンエムハト3世を共同王に任命。
ラルサ王朝のシン・イディナム王が死去したため、シン・エリバムが王を継承する。

前1841年

エジプト第12王朝を統治していたカーカウラー・センウセルト3世が死去。
共同王であったニマートラー・アメンエムハト3世が、エジプト第12王朝を統治。

前1840年

ウルク第6王朝においてシン・ガミルが王として即位。
ラルサ王朝のシン・エリバム王が死去したため、シン・イキシャムが王を継承する。

前1836年頃

テラと後妻との間に、サラが生まれる。後にアブラムと結婚する。

前1835年

ウルク第6王朝においてアナムが王として即位。
ラルサ王朝のシン・イキシャム王が死去したため、ツィリ・アダドが王を継承する。
エラム地方の王の一人であった古代メソポタミアのアムル人の族長クドゥル・マブクが、ラルサ王朝を強襲し、シツィリ・アダド王を追放する。 クドゥル・マブクは自らを王と名乗らず、息子ワラド・シンを、ラルサ王朝の王として即位させる。
また、クドゥル・マブクはこの時より、「アムルの父」、「エムトゥバルの父」と称しはじめる。 彼はニップル市などに圧力をかけて、ワラド・シンが正当なラルサ王であることを認めさせ、南部メソポタミアの実質的な支配者となっていった。

前1834年

クドゥル・マブクの息子ワラド・シンが、ラルサ王朝の王となる。

前1831年

バビロン第1王朝において、サビウム王が死去。

前1830年

バビロン第1王朝において、アピル・シンが王位を継承する。
ウルク第6王朝においてイルダネネが王として即位。

前1829年

エジプトとヌビアの戦争が起こる。( - 1818年)

前???年

ハランとその妻の間に、ロト、ミルカ、イスカが生まれる。

前1822年

ラルサ王朝のワラド・シン王が死去したため、その弟リム・シン1世が王を継承する。
この時は、クドゥル・マブクが実質的な支配者として君臨した。

前1820年

イシン第1王朝のシン・マギル王が死去。 ダミク・イリシュが王を継承する。
ウルク第6王朝においてリム・アヌムが王として即位。

前1815年

ラルサ王朝の王リム・シン1世の父クドゥル・マブクが死去。
これにより、リム・シン1世の実質的な治世が行われる。

前1813年

アモリ人、北メソポタミアを征服。
バビロン第1王朝において、アピル・シン王が死去。
シャムシ・アダド1世が、アッシリア王エリシュム2世を倒し、アッシリアの新王となる。

前1812年

バビロン第1王朝において、シン・バリムトが王位を継承する。

前1810年

ウルク第6王朝においてナビ・イリシュが王として即位。

前1808年

バビロン第1王朝が勢力を拡大する。
ウルク王ナビ・イリシュはバビロン王シン・ムバリトと同盟を結ぶ。

前???年

テラは、その息子アブラムと、孫でアブラムの甥に当たるロト、アブラムの異母妹に当たるサライ(のちのサラ)と共にカナンの地(ヨルダン川西岸。現在のパレスティナ)に移り住むことを目指し、ウルから出発した。

前1806年

伝統的記年法による夏王朝の終焉。

前1802年

バビロン・ウルク連合軍が、ラルサ王朝と衝突。リム・シン1世が連合軍を打ち破り、ウルク王朝を占領する。
ウルク王朝が、ラルサ王朝リム・シン1世によって滅ぼされ、傘下に吸収される。

次の年代:
紀元前1800年〜紀元前1700年