前の年代:
紀元前2300年〜紀元前2200年
紀元前2200年 〜 紀元前2100年
トルコにあった古代都市テオスから出土した石版によれば、古代ギリシャには官僚制度がすでに存在しており、仕事も現代とあまり変わらないことが判明。
メソポタミア地域で、大規模な気候変動が発生。この事から、大地の乾燥が拡大し、火山噴火が続くようになる。ユーフラテス川は1.6m低下した。
南メソポタミア一帯では、人口の減少が見受けられ、50年後には、アッカド帝国自体が干ばつで滅亡する。
創世記に記載される、大洪水が起こる。
前2200年
グティ人がアッカド、ウルクを侵略し始める。民話によれば、これは神がナラム・シンに神罰を与えたものとしている。
前2199年
グティの王が死去。
前2198年
イムタがグティを王朝として建国する。
前2197年
グティ王朝の王イムタを補佐するかたちでインキシュシュが共同統治をおこなう。
前2197年
グティ王朝の王イムタを補佐するかたちでサルラガブが共同統治をおこなう。
前2196年
グティ王朝の王イムタが死去。 シュルメが王位を継承する。
前2193年
アッカド帝国の王シャル・カリ・シャッリが、粘土板で撲殺されるという方法で暗殺され、統一王朝としてのアッカドの歴史は終わりを遂げた。
この機会を逃さず、グティ朝はアッカドに侵攻。
同様に、ウルニギンがアッカドから独立し、ウルク第4王朝を建国。
また、おそらくこの時に、キクイドがアッカドから独立し、ラガシュ第2王朝を建国。
前2192年
この時より、紀元前20190年までの3年間において、アッカド帝国は空位の状態として機能した。 王を名乗る者が乱立したといわれている。 シュメール王名表においては、この3年間に、イギギ/ナヌム/イミ(Emi)/イルルの4人が王となっていた。
前2190年頃
旱魃の影響でエジプト古王国が崩壊し、エジプト第1中間期に入った。
グティ王朝の王シュルメが死去。
エルルメシュが王位を継承する。
前2189年
アッカド帝国の王としてデュデュ(ドゥドゥ)が即位して、国家を統一した。
前2186年
ウルク第4王朝の王ウルニギンが死去。 ウル・ギギルが継承した。
前2184年
エジプト第6王朝のペピ2世が100歳を迎えて死去。
この時期までにエジプト各地の州侯は自立傾向を示し、旱魃により治安の悪化がみられる。
次の王として、メルエンラー2世(メルエンラー・アンティエムサフ2世)がエジプト王朝を統治。
グティ王朝の王エルルメシュが死去。
イニマバケシュが王位を継承する。
前2183年頃
エジプト第6王朝メルエンラー2世が死去。 エジプト第6王朝をネチェルカラーが統治。
前2182年頃
エジプト第6王朝をネチェルカラーが死去。 ネチェルカラーの死後、彼の姉妹であり妻でもあったニトケルティ(ニトクリス)が女王となった。
前2181年
エジプト第6王朝ニトケルティ女王が死去する。
これにより、エジプト第6王朝が終わり、エジプト古王国時代が終わる。
ファラオの権威が失墜して古王国が崩壊し経済も荒廃した。
食料不足や施政の混乱で飢饉や内紛がエスカレートし、各地で豪族が乱立した。
彼らは独特の文化や経済を生み出し、王室限定とされてきた生活様式を我が物顔に取り入れては墓や宮殿を造り始めたりもした。
この時、エジプト古王国が終わり、エジプト第1中間期にはいる。
やがて豪族たちの間で権力闘争が起き、テーベを首都とする上流エジプト(Upper Egypt)とメンフィスを首都とする下流エジプト(Lower Egypt)に二極化する。
この時期の社会不安を記録したものとして『イプエルの訓戒』と呼ばれる文学作品ほかがある。
エジプト第7王朝において、メンフィスを拠点にネフェルカラー1世が統治。
しかしこの時期は、記録的によれば、非常に短い期間で第7王朝が衰退した。
エジプトの属国とされていた国々が自立し、この時期の王は70名を超えていたとある。
混乱した時代であり、安定する第11王朝までをエジプト第1中間期と定義。
前2180年頃
エジプト第7王朝を統治していたネフェルカラー1世が死去。 エジプト第7王朝において、ネフェルカラー・ネビ王が統治。 ウルク第4王朝の王ウル・ギギルが死去。 クダが継承した。
前2179年頃
エジプト第7王朝を統治していたネフェルカラー・ネビ王が死去。
エジプト第7王朝において、ジェドカラー・シェマイ王が統治。
グティ王朝の王イニマバケシュが死去。
イゲシャウシュが王位を継承する。
前2178年頃
エジプト第7王朝を統治していたジェドカラー・シェマイ王が死去。 エジプト第7王朝において、ネフェルカラー・ケンドゥイ王が統治。
前2177年頃
エジプト第7王朝を統治していたネフェルカラー・ケンドゥイ王が死去。 エジプト第7王朝において、メレンホル王が統治。
前2176年頃
エジプト第7王朝を統治していたメレンホル王が死去。 エジプト第7王朝において、スネフェルカー王が統治。
前2175年頃
エジプト第7王朝を統治していたスネフェルカー王が死去。 エジプト第7王朝において、ニカラー王が統治。
前2174年頃
エジプト第7王朝を統治していたニカラー王が死去。
エジプト第7王朝において、ネフェルカラー・テレル王が統治。
ウルク第4王朝の王クダが死去。
プズル・イリが継承した。
前2173年
エジプト第7王朝を統治していたネフェルカラー・テレル王が死去。
エジプト第7王朝において、ネフェルカホル王が統治。
エジプト第7王朝を統治していたネフェルカホル王が死去。
これにより、エジプト第7王朝が終わる。
グティ王朝の王イゲシャウシュが死去。
ヤルラガブが王位を継承する。
前???年頃
ウアジカラー王が即位し、エジプトに新王朝を起こす。
これによりエジプト第8王朝が始まった。
エジプト第8王朝において、ウアジカラー王が統治。
前???年頃
エジプト第8王朝を統治していたウアジカラー王が死去。 エジプト第8王朝において、スネフェルカー・アヌ王が統治。
前???年頃
エジプト第8王朝を統治していたスネフェルカー・アヌ王が死去。 エジプト第8王朝において、カカラー・イビィ王が統治。
前2169年
ウルク第4王朝の王プズル・イリが死去。 ウル・ウトゥが継承した。
前2168年
アッカド帝国の王ドゥドゥが死去。 息子のシュ・ドゥルル(シュ・トゥルル)が継承した。
前???年頃
エジプト第8王朝を統治していたカカラー・イビィ王が死去。 エジプト第8王朝において、ネフェルカウラー王が統治。
前???年頃
エジプト第8王朝を統治していたネフェルカウラー王が死去。 エジプト第8王朝において、ネフェルカウホル王が統治。
前2164年頃
ウル・バウがラガシュの民を取りまとめ、指導者となる。
前2163年頃
ウルク第4王朝がグティ朝によって打ち倒される
前???年頃
エジプト第8王朝を統治していたネフェルカウホル王が死去。 エジプト第8王朝において、ネフェルイルカラー王が統治。
前2160年頃
クレタ島で中期ミノア時代が始まった。
前2160年
地球人類は、0年まで「力」が文明のテーマとなる。
地球各地で、文明/文化の闘争が始まる。
エジプト第8王朝を統治していたネフェルイルカラー王が死去。
これによりエジプト第8王朝が終わる。
上エジプトのヘラクレオポリス(古代エジプト語:ネンネス)侯ケティ1世が他の州侯を圧倒して王を称し、新王朝を起こした。
これによりエジプト第9王朝の時代が始まった。
首都をネンネス(ヘラクレオポリス)におき、混乱の最中にあったエジプト諸国を一時期は統一させたと記録されている。
おそらくこの時期より、過去の繁栄の記録を抹消すべく、時の権力者によって歴代の王墓が破壊されていく習慣が始まる。
前2158年頃
グティ王朝の王ヤルラガブが死去。 イバテが王位を継承する。
前???年
エジプト第9王朝ケティ1世の知世末期において、 テーベ侯メンチュヘテプ1世が、独自に勢力を拡大してアビュドス(上エジプト第8県)近辺より南の地域を支配下に収める。
前2155年頃
グティ王朝の王イバテが死去。 イアルラが王位を継承する。
前2153年
アッカド王朝が干ばつの被害にあい、滅亡する。
前2152年頃
グティ王朝の王イアルラが死去。 クルムが王位を継承する。
前2151年
グティ王朝の王クルムが死去。 アピキンが王位を継承する。
前2150年頃
ウル・バウがラガシュの民を取りまとめ、親グティ的な政策を行い、地位を確立する。 グティ王朝からの圧力を回避する事に努め、結果としてラガシュ王朝を再興した。
前2150-2030年頃
ギルガメシュ叙事詩が書かれた。 紀元前2600年ごろ、シュメールの都市国家ウルクに実在したとされる王ギルガメシュが主人公となっている。 歴史文献という観点で実際の内容を読み解いていくと、実際の編簿は紀元前3000年〜2000年間において行われていたと考えられている。
前2148年
グティ王朝の王アピキンが死去。 ラエラブムが王位を継承する。
前2146年
グティ王朝の王ラエラブムが死去。 イラルムが王位を継承する。
前???年
エジプト第9王朝においてアクトエス王が統治。 マネトの記録によれば、アクトエスは以前の王達より残酷に振る舞い、全てのエジプト人に災難を齎した。 そして最後は発狂し、ワニに殺されたと記録している。
前2144年頃
ラガシュ第二王朝の王ウル・バウが死去。
ウル・バウの娘ニッラの夫であったグデアが王位を継承した。
グティ王朝の王イラルムが死去。
イブラヌムが王位を継承する。
前2143年
グティ王朝の王イブラヌムが死去。 ハブルムが王位を継承する。
前2141年頃
グティ王朝の王ハブルムが死去。 息子のプズル・スエンが王位を継承する。 グティ王朝の王ハブルムが侵攻したのか、息子のプズル・スエンが侵攻したのかは不明。
前2138年
プレアデス星間リーグ/マイア星系が、フォトンベルトから抜出。
バビロンで5月9日に日食、5月24日に月食が起こった。
前2134年
テーベ侯メンチュヘテプ1世が息子のアンテフ1世に政権を継承する。
グティ王朝の王プズル・スエンが死去。
ヤルラガンダが王位を継承する。
前2133年
テーベ侯アンテフ1世が、テーベ(現ルクソール)を拠点に新王朝をおこす。
これによりエジプト第11王朝が始まった。
アンテフ1世は、補ホルス名を「セヘルタウィ(両国に平和を齎す者)」として、代々これを継承する事とした。
前2130年
エジプト第9王朝を統治していた19人目の王が死去する。
これにより、エジプト第9王朝が終わった。
新たな王が分化と王統を継承し、新王朝を起こした。
これによりエジプト第10王朝が始まった。
エジプト第10王朝もまた記録が乏しく、19人の王がいた事を示すのみである。
前2127年
グティ王朝の王ヤルラガンダが死去。 次の者が王位を継承する。(名は記されていない)
前2124年
ラガシュ第二王朝の王グデアがが死去。 息子のウル・ニンギルスが後を継いだ。
前2120年頃
現在パリのルーヴル美術館に収蔵されている、グデアの奉納像がラガシュで作られた。
前2120年頃
グティ王朝の王が死去。
次の者が王位を継承する。(名は記されていない)この王が即位して40日後、ウトゥ・ヘガルが、グティ朝に侵攻し、王を打ち倒す。
これにより、グティ朝が滅亡する。
後世の碑文によれば、グティ王朝の最期の王は、ティリガンという名で記されている。しかし、この碑文の内容自体は、民話のような内容で記されているため、実在性には欠けると言われている、
前2119年頃
ウトゥ・ヘガルがウルク第5王朝を建国する。
前2117年頃
エジプト第11王朝を統治していたアンテフ1世(セヘルタウィ王)が死去。 エジプト第11王朝において、アンテフ2世(ワハアンク王)が統治。
前2116-2110年
ウルクとグティ人の残党の間で戦争が起こった。
前2113年
ウトゥ・ヘガルはウルク第5王朝を建国したものの、これを維持する事ができなかった。
ウトゥ・ヘガルの娘婿(義理の息子)であるウルナンムが、シュメールの王としてその統治を継承した。
ウトゥ・ヘガルの没後、ウルナンムは、ウルの王となりウトゥ・ヘガルの後継者の地位を占めた。
ウルク第5王朝の王ウトゥ・ヘガルの息子/将軍であり、ウルを統治していたウル・ナンムがウル第3王朝を樹立。
ウル・ナンム法典と呼ばれる法典を制定した。
彼は独立状態にあった他のシュメール都市国家を次々と打ち破り統合していったが、その具体的な過程は殆ど知られていない。
僅かにラガシュ第2王朝の王ナンマハニを打倒したことが記録に残るのみである。しかし、ウル・ナンムによって行われた建築事業がウルク、ニップル、ラルサなどで確認されており、ウル・ナンムが広い範囲に支配権を及ぼしたことは確実である。
彼はメソポタミアの覇権を握ったあと、盛んに建築事業を行った。特にアッカド王朝滅亡以来の動乱によって損傷した各地のジッグラトを再建し、また拡張した。彼が建設したウル市の月神ナンナの神殿は、それ以前のあらゆる建造物より巨大に作られている。
また彼はウル・ナンム法典と呼ばれる法典を制定した。これは現在知られている中では現存する最古の法典集である(内容についてはウル・ナンム法典の項目を参照)。
彼の治世中に一通り王朝の基盤が整ったと考えられる。彼の死後王位を継ぐ息子のシュルギらウル・ナンムの後継者達によってウル第3王朝は繁栄を謳歌し、シュメール文化の黄金時代を築くこととなる。
ナンムという名は海の女神ナンムから取られており、自らを「女神ナンムの召使」と称した。
前2109年
メトシェラの息子メレクが777歳において死去。
前2104年
ノアの箱舟が完成する。
大洪水が起こる。
旧約聖書「創世記」によると、エノクの息子メトシェラが969歳において亡くなる。
その直後、大洪水が起こった。(2015年時点では最有力節)
ノアの方舟「アーク」に乗った生き物を除き、
地上にあった全ての生き物は、大洪水によって滅ぼされた、とある。
その後箱舟はアララト山(現トルコ)の上にとまった。
『創世記』のノアの方舟の物語によれば、エデンを離れてから何代かを経て、ネフィリムが生まれ堕落し、お互いに争うようになった。
ヤハウェ・エロヒムは人間を作ったことを後悔し始め、全てを払拭するために大洪水を起こすことを決めた。
ヤハウェは地上にただ一人、救う価値のある男性ノアを見出した。
そこでヤハウェはノアに特別な大きさと設計の方舟を作るように告げた。
方舟に乗せたのは、彼の妻、彼の三人の息子のセム、ハム、ヤペテ と彼らの妻、清い動物と鳥を雌雄7つがい(7匹か7組かの記述が異なる場合がある)、そうでない動物を2つがい、必要な食べ物すべてと苗木で、人間はもう一度白紙から始めるのである。
ノアが600歳になった年、アダムの創造から1656年後、ヤハウェは大洪水を起こした。
その説明によると、洪水は(1)40日間「天の水門」より降り続いた雨(これは『創世記』における最初の雨に関する言及である)と、(2)「とても深い泉」の水から生じている。
『創世記』の文を分析すると、空(蒼穹)の上に、天上の海ともいうべき大きな水のかたまりを想定していたのではないかと推測される。
「水の間に空間を作って水と水とを隔てなさい。」エロヒムは空間を作って、空間の下の水と空間の上の水とを隔てた。そしてそうなった。エロヒムは空間を「空」と呼んだ。
洪水の水は150日間地上を覆った。
その月の17日目に、方舟はアララト山の上に流れ着いた。 10か月め、その月の初日に、山の頂が見えた。
前2103年
ノアが601歳になった年、最初の月、最初の日に地表が乾いた。次の月の21日目には地が乾き、ヤハウェはノアに方舟を離れるよう指示した。
セム100歳の時、息子/アルパクサデが生まれる。洪水が発生後に生まれた初の子供。
洪水ののち、ノアは清い動物を供物にささげ、ヤハウェは、人間は幼いときから邪悪な性癖を持って生まれるのだからと、洪水で地上のすべてを破壊することは二度としないと約束し、自然の摂理を支えることを自身に約束した。
神はノアとこの契約を交わし、これにより人々はすべての動物に対する優越を与えられ、すでに命を宿していない肉を食べることを初めて許され、新しい法の元で地上に繁殖するよう指示される。
新しい法とは、人が誰かの血を流したら、彼自身の血も流されなければならない、というものである。
ヤハウェは雲に虹をかけて、この永久不滅の契約の印とするとともに、のちの世代へのよすがとした。
「40日間もの間雨が降り続き、洪水の水は150日間地上を覆った」
という現象から規模を推定するに、何か巨大なものが衝突した事によって噴煙が大空に巻き上げられ、一定の期間において太陽の光が地上に届かなかった状況が発生していたと考えられる。
この大洪水以後、人間の寿命が短縮されていく。
前2102年頃
プズル・イリが、ウルク第4王朝を統治。
前???年
ウルにエ・テメン・ニグル(ジグラット)が建設される。(現在の、イラク ジーカール州ナーシリーヤ近郊) ウルの守護神である月神ナンナ/シンへ捧げる神殿として建築開始されたものである。
次の年代:
紀元前2100年〜紀元前2000年