前の年代:
紀元前1300年〜紀元前1200年

紀元前1200年 〜 紀元前1100年

環東地中海を席巻する大規模な社会変動が発生した。
現在、「前1200年のカタストロフ(破局とも)」と呼ばれるこの災厄は古代エジプト、西アジア、アナトリア半島、クレタ島、ギリシャ本土を襲った。この災厄は諸説存在しており、未だにその内容については結論を得ていない。
これらには諸説あり、気候の変動により西アジア一帯で経済システムが崩壊、農産物が確保できなくなったとする説、エジプト、メソポタミア、ヒッタイトらが密接に関連していたが、ヒッタイトが崩壊したことでドミノ倒し的に諸国が衰退したとする説などが存在する。地震によって崩壊したとする説は環東地中海全体の崩壊ではなく、特定の国にのみ考えられており、少なくともミケーネ時代のティリンスではドイツ考古学研究所の調査によれば激しい地震活動が発生したことが確認されている。

前1200年頃

フェニキア文明の繁栄。(ミケーネ文明か?) イスラエル人からは、「海の民」と呼ばれていた。
北アメリカ、先史プエブロ文化。
西北インドへ進出してきたアーリヤ人達が、この頃にインド最古の文献である『リグ・ヴェーダ』を編纂し始めた。/リグ・ヴェーダの集大成 。 先住民であったドラヴィダ人は、アーリア人の侵入によって、被支配民族となり一部が南インドに移住した。
(ドラヴィダ人:ア=スラと呼ばれる種族。)
メキシコ周辺地域にて、オルメカ文明が拡大化。この頃には生け贄の儀式があったとされている。
1979年において、北海道千歳市中央にてキウス周堤墓群が発掘される。概ね紀元前1200年頃に構築された集団墓であるとの事。地面を円形に掘り下げ、周囲に環状に土を盛った区画の中に墓壙を設け遺体を埋葬した模様。史跡指定地に現地表面で8基の周堤墓がある。周堤の外径は最大75m、区画底面から周堤上面までの高さは5mに達する。

前1199年

エジプト第19王朝を統治していた、メンミラー・セテプエンラー・アメンメセスが死去。
ウセルケペルウラー・セテプエンラー・セティ2世が継承して、エジプト第19王朝を統治。

前1195年

地中海東岸の諸都市が「海の民」に破壊される。
これらの都市にはウガリット・カデシュ・アララハ・カトナ・エマルが含まれる。

前1194年

トロイア戦争の始まり(伝承に基づくエラトステネスの計算による)。

前1193年

エジプト第19王朝を統治していた、ウセルケペルウラー・セテプエンラー・セティ2世が死去。
アクエンラー・セテプエンラー・サプタハが継承して、エジプト第19王朝を統治。

前1192年

殷の武丁が死去(紀元前1250年頃〜)

前1190年頃

ヒッタイト王国の都ハットゥシャが陥落し統治機構は崩壊。 カルケミシュやメリドではヒッタイト残存勢力が再編成される(シリア・ヒッタイト国家群)。リュディア王国もその流れを汲む。
アナトリア中央部にはフリギア人が進出し、ゴルディオンを中心に定着。
後期ミケーネ文明(後期ヘラディック期III B)の終焉。 ミケーネ・ティリンス・ピュロス・ミデアの諸宮殿が崩壊する。続くヘラディック期III Cには集落は激減。線文字Bの記録も途絶える

前1187年

エジプト第19王朝を統治していた、アクエンラー・セテプエンラー・サプタハが死去。
サトラー・メリアメン・タウセルト女王が継承して、エジプト第19王朝を統治。

前1185年

エジプト第19王朝を統治していた、サトラー・メリアメン・タウセルト女王が死去。
古代エジプト第19王朝が終焉を迎える。
ウセルカラー・セテプエンラー・セトナクトが継承して、エジプト新王朝を統治。
第20王朝の開始。

前1184年

伝承によればトロイア戦争の終わり。トロイア滅亡。
このトロイア(イリオス)は小アジアのダーダネルス海峡付近のヒッサリク遺跡第7層に推定される。

前1182年

エジプト第20王朝を統治していた、ウセルカラー・セテプエンラー・セトナクトが死去。
ウセルマアトラー・メリアメン・ラメセス3世が継承して、エジプト第20王朝を統治。

前1181年

エジプト王ラムセス3世がリビュア人の侵入を撃退。

前1178年

エジプト王ラムセス3世がデルタの戦いで「海の民」連合軍に勝利する。

前1175年

エジプト王ラムセス3世がリビュア人の侵入を再び撃退。

前1159年

アイスランドのヘクラ火山第三期噴火。

前1158年

エラム王シュトルク・ナフンテ1世がバビロンを陥落させカッシート朝を滅ぼす。 ハンムラビ法典の石碑もこの時スサへ持ち出され、スサの遺跡で考古学者により発見される。
エラム人退却の後にバビロンにはマルドゥク・カビト・アヘシュ王によりイシン第2王朝(バビロン第4王朝)が成立。

前1157年

ラムセス3世支配のエジプトのデール・エル・メディーナで建築職人によるストライキが発生(記録上最古のストライキ)。

前1155年

エジプト王ラムセス3世が暗殺され、暗殺の首謀者である王子ペンタウアーが処刑される。

前1151年

エジプト第20王朝を統治していた、ウセルマアトラー・メリアメン・ラメセス3世の死去が発表される。
ヘカマアトラー・ラメセス4世が継承して、エジプト第20王朝を統治。

前1150年頃

ミュケナイ文明が前1200年頃から急速に衰退し滅ぶ。
メソアメリカ、オルメカのサン・ロレンソの繁栄続く(サン・ロレンソ相 - 紀元前900年頃まで)。

前1145年

エジプト第20王朝を統治していた、ヘカマアトラー・ラメセス4世が死去。
ウセルマアトラー・ラメセス5世が継承して、エジプト第20王朝を統治。

前1141年

エジプト第20王朝を統治していた、ウセルマアトラー・ラメセス5世が死去。
ミイラの調査からラムセス5世は世界最古の天然痘の罹患者だったことが判明している。
ネブマアトラー・メリアメン・ラメセス6世が継承して、エジプト第20王朝を統治。

前1133年

エジプト第20王朝を統治していた、ネブマアトラー・メリアメン・ラメセス6世が死去。
ウセルマアトラー・メリアメン・セテプエンラー・ラメセス7世が継承して、エジプト第20王朝を統治。
ウセルマアトラー・アクエンアメン・ラメセス8世が共同王として即位。

前???年

ヨシュアが110歳の時に亡くなる。 ヨシュアは死の床で民の代表者たちに神への信頼を説き、この世を去った。
その遺体はティムナト・セラに埋葬された。

前1131年頃

ヨシュアが亡くなると同時にイスラエルの民は急速に迷走するようになる。
ユダ族においては、エルサレムやヘブロンの町を滅ぼし、死海西方の土地に住み始めた。 ユダ族の族長カレブが、デビルの町を攻めようとした際、この戦いでオトニエルが活躍した。オトニエルはこの功績によってカレブの娘アクサを妻に迎えた。
イスラエルのオトニエル(ヘブライ語で「わたしの力は神である」)が、宗教的指導者(祭司)かつ政治的民族指導者(士師)となる。
オトニエルは40年間、イスラエルを束ねる事となった。

前1126年

エジプト第20王朝を統治していた、ウセルマアトラー・メリアメン・セテプエンラー・ラメセス7世が死去。 エジプト第20王朝を統治していた、ウセルマアトラー・アクエンアメン・ラメセス8世が死去。
ネフェルカラー・セテプエンラー・ラメセス9世が継承して、エジプト第20王朝を統治。

前1125年

イシン第2王朝のネブカドネザル1世王が即位(〜紀元前1104年)。 この王は在世中にエラムを攻撃し、カッシート朝滅亡以来奪われていたマルドゥク神像をバビロンに持ち帰る。
アッシリア王アッシュール・レシュ・イシ1世とも戦うがめぼしい戦果は得られず敗北する。

前1115年

アッシリア王ティグラト・ピレセル1世が即位(〜紀元前1077年頃)。

前1112年

殷の文武丁が第29代王として即位。文武丁は帝乙・比干・箕子の父でもある。

前1110年

アッシリア王ティグラト・ピレセル1世が、領土拡大政策により、旧ミタンニ領のフルリ人を服属させ、地中海まで進軍。

前1108年

エジプト第20王朝を統治していた、ネフェルカラー・セテプエンラー・ラメセス9世が死去。
ケペルマアトラー・ラメセス10世が継承して、エジプト第20王朝を統治。

前???年

宰相ヘリホルが、ラメセス11世の姉妹であるノジメトと結婚する。

前1104年

ヘラクレスの子孫たち(ヘラクレイダイ)の帰還。
トゥキディデス『歴史』によるとトロイア戦争終結の80年後のこととされ、ドーリア人のペロポネソス半島侵入を指すとされる。 ミュケナイ王ティサメノスやアテナイ王コドロスはこの侵入によって引き起こされた混乱で戦死したと伝えられる。
先住民のアカイア人はアッティカからエーゲ海の島々そして小アジアのイオニア地方に残存する。

前1102年

殷の文武丁が、西伯季歴(後の周の文王の父)を処刑する。

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紀元前1100年〜紀元前1000年